IMG_0803恥ずかしくないのでしょうか。

自分で自分のことをすごいでしょ、というその感覚。
しかもそれを、わざわざ外国人の口を借りて言わせるわけで。

それほどまでに、自信がないのか? ニッポン!
そこまで落ちてしまったのか? ニッポン!

そもそもクールジャパンという概念は、日本のモノや文化が、国際社会において客観的かつ結果的に評価されたところから始まりました。

それは、ある意味当然のことだと私は思っています。
そのバックグラウンドには、そういうモノや文化を裏側で支える精神や社会的なしくみがあったからです。

それは、勤勉さだったり、潔さだったり、教育レベルだったり、世界史上でもっとも貧富の差の小さい体制だったり。
そしてなにより、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という国是です。

それらすべてが失われ始めてきました。
そしてそんな中で、俺たちはもっと凄いはずだぞという狭窄的で幼稚な民族意識みたいなものが、いつの間にか日本人の中に蔓延し始めたのでしょうか。

まあなんにしても、自分で自分を凄いというバカは、見苦しい。
日本を貶めるのもいい加減にしろ、日本人としての誇りはないのかと。

しかしそんなことをまた偉そうに言っているおいらは、それじゃぁ何者だっていうのでしょう。

一年ほど前に書いたものを読み返してみると、今の日本という社会における自分の立ち位置について、迷っていました。
どこか拠り所のないようなその不安は、今も変わっていません。

先日、あ、もしかしてこれか? と思うものに出会いました。
週刊女性に掲載された鈴木邦男氏の記事です。

鈴木邦男といえば、三島由紀夫を憂国の士として掲げる新右翼団体「一水会」の代表者でした。
まあ、新左翼が旧・左翼から忌み嫌われ攻撃されたように、新右翼も、旧来の右翼勢力からはかなり目の敵にされているようですが。

でも、そうはいっても、やはりゴリゴリの右翼の論客です。
そんな彼の言葉が、なぜかけっこうグイグイと響いてくるのです。
さっそく彼の近著である「これからどこへむかうのか」を楽天で取り寄せ中です。

ただまあ、相違点も当然あるわけで、一番はやはり、私が「日の丸」と「君が代」に思い入れがないことかな。

多分それは、このふたつが近代日本のダークサイドを背負っている歴史からかもしれません。
そしてまた、国歌も国旗も、所詮は国際的な識別表示でしかないからです。
国際試合とか、国際政治とか、国際運輸とか、そういう世界でこそ初めて意味があるのです。

君が代は、歌詞はダメだけどメロディは好きですね。
外国人はどうせ日本語なんてわからないんだから、メロディだけでいいでしょう。

日の丸は、まあ、日の丸でもいいんだけれど、この際だれも拒否感を持たない、桜の花にしたらどうでしょう。
白地にピンクで、5枚の花びら。
素敵だと思いません?

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