
ひとつは、どうしてもそのエントリを広めたいと思うとき。
微力ながら自分の友だちにもぜひ知らせたい、拡散したいと思って、シェアします。
「なぜシェアするのか」という理由も必ず添えています。
もうひとつは、それに賛同しているというか、半分は自分の意見表明の代わりにするシェア。
私は、後者はほとんどしません。
する場合でも、必ず自分の意見なり見解なりをちゃんと書いて、その上でシェアするようにしています。
でも、なんのコメントもなくただシェアする人も少ないないですよね。
もちろん、ひとつめの、これを広めたいという意味が強いのだろうから、それはそれで別にいいんだけれど。
もしそうじゃなくて、自分の意見を何らかの形で表明したいなら、それは自分の言葉で表現したほうがいいんじゃないのかなぁ。
とまあそんなふうに感じることもしばしばな、今日この頃なのでございます。
「人が言ってる」じゃねえだろ、てめえがどう思ってどう表現するかだろ、ってことなんですけれど。
多分,私の考え方はもう古くて、ネット時代のそれではないのかな。
そもそも、引用という概念の範囲内で著作権もクリアされると思うのですが。
コメントもなくただシェアするだけなら、それは「引用」じゃなくて「転載」だよなぁ、と思ってしまうのです。
「転載」なら、許諾がなければ著作権法違反だぁ!と。
まあ、そもそもアップする前提として、シェアを容認していると考えるべきなのでしょう。
ネット上にあるものはすべてパブリックドメインである、という考え方だってあるご時世ですから。
でも例えば、ひと言だけ「ひどいね」とか添えてシェアしてる場合とか。
そこに書かれた内容について、その通りだ、ひどいことだと言っているのか、それともその書き込み自体に対してひどいと批判しているのか、ちょっとその人の立ち位置がよくわからないこともあります。
まあ匿名の無責任な発言はそれ以前の問題ですけれど。
100%ではないにしても、自分が何者かを一定明らかにしているのが、フェイスブックのいいところでもあるわけで。
複数のID使ってマッチポンプしてる人も少なくないみたいだけれど。
でもこういう人たちの立ち位置は、それなりに明確だからまあしょうがないか、みたいな。
あと、どういう意図でシェアしてるのか、よくわからないものも多いでしょ。
あ、もうひとつあった。
このブログをフェイスブックでシェアしてた。
これはまあ、その昔は一般的だった、更新お知らせ機能みたいなもの、ということで。
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