
このところ、なぜかつい口ずさんでしまうのが、岡林信康の『手紙』。
1969年のこのフォークソングを、歌えるひとももう少ないでしょう。
「私の好きなみつるさんは〜」
というこの歌は、部落差別によって引き裂かれる愛を歌ったものです。
北関東という土地柄だったのでしょうか。
私は「部落差別」というものの存在を知らずに育ちました。
自分の周りに全くそういう事例がなかったし、学校や地域でも教わることもなかった。
高校生の時この歌を初めて聴いて、恥ずかしながら、最初は意味がよくわからなかったことを覚えています。
その一方で、日常的にあったのが、朝鮮人への差別でした。
小学校のクラスには、必ず朝鮮名の子がいて、いじめの対象にもなっていました。
私も、肉体的な危害を加えるとかそういうことはありませんが、みんなと一緒になってはやし立てていました。
正直に言います。
当時は罪の意識なんて全くなかったし、ごく当たり前のように差別用語を口にしていました。
当然のことながら、歴史的な観点に立つこともないし、なにか自分に不都合なことがあるわけでもない。
それでも、あたりまえのように、差別をしていました。
でも、嫌っていたとか憎んでいたとか、そういうことではないのです。
大人も子どもも含めてまわりがみんなそうだから、というような理由だったのか。
ほとんど無意識に近い植え付けられた感覚で、そういうものだと思っていたのではないでしょうか。
今となっては無知であったことを恥じるのみです。
それに対して「憎悪」は、もっと明確な理由が存在して獲得する感情なのかとも思うのです。
ヘイトスピーチを放つ者が、無意識に近い差別意識でやっているのか、というと、だからもしかしたらちょっと違うのかもしれないと思います。
その底にあるのはもっと異質な憎悪だったり、あるいは明確な意図だったり。
少なくとも、無知が生み出す「差別」とは別物のような気がするのです。
ヘイトスピーチは、表現の自由とはまったく無縁の、犯罪です。
ですから、百田のような男に発言機会を与えること自体が、すでに犯罪に荷担していることを、一ツ橋の学生は認識すべきだとも思います。
あ、小説を書くことや、政治的信条を述べることは憲法で保証された自由ですよ、もちろん。
たとえそれがどんな劣悪な内容であっても。
シールズの男の子が、「平和実現のために、韓国人と個人的に酒を酌み交わして相互理解を深めたい」というような発言をして、「大人たち」からバッシングを受けたことがありましたね。
なにを寝ぼけたおめでたいことを言ってるんだと。
でも、昨日のエントリでも触れた最強の盾である外交努力とは、実はそういう一人一人の人間の行動に支えられているものだと思います。
決して、お上にお任せレベルの問題ではないと思うのです。
たとえば、アフリカや中東で活動するNPOの人たちが、どうやって現地の人の理解と信頼を得ていくのか。
一緒に働いて、一緒に飲んで食べて、一緒に喜んで、一緒に悲しんで、そういう毎日の積み重ねによって初めて可能になることだと聞きました。
お金と暴力では、最終的には人の心までは動かせない。
嫌うのは自由だから、嫌いでもいいけど。
個人的には別に仲良くしたくなければ、無理にしなくていいけれど。
でも、お互いを尊重しなければいけないと思う。
そうでなければ、おいらには関係ないやと言ってしまえば、それは人として、この世に愛と理性を持って生まれてきた甲斐がないと思うのです。
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