IMG_95833.11は、父の命日でもあります。

仏教式なら今日は三回忌に当たりますが、 神道式にはその習慣はないので、お参りだけをしに、水戸へ行ってきました。

墓地からほど近いところに、メガソーラーの発電施設があります。

もともとニュータウン開発という公共事業で山林を切り開いて始まったものが、計画が頓挫し、広大な空き地を抱えていました。
いまそこに延々とソーラーパネルが設置されています。

再生エネルギーが環境を破壊する、という観点があります。
一部では、山林を切り開いてメガソーラーにしていく大規模開発への、根強い反対運動もあります。
その背後には都会と地方の格差、あるいは国の助成金と依存というような、様々な問題も横たわっていると思います。

しかし、「地球に優しい」という表現がありますが、そもそも人類は地球に優しい存在であるはずがなく、破壊者だと私は思っています。
特に現代人は、人間以外の他の生物や環境を犠牲にすることなく存続することが困難な存在になってしまっています。
その最たるものが、留まるところをしらないエネルギーの消費の増大です。

それじゃあ18世紀の、産業革命以前の生活に戻ることができるというのでしょうか。

「環境に優しい」と言えば、それは「人間にとって都合のいい状態に対して」であって、 人間社会にとって持続可能な、という意味になるのではないでしょうか。

そういう観点からすれば、すでに我々は、人間社会を維持存続するためには、環境破壊を続けていかないとならない宿命を背負っているのではないかと思います。

地球規模で言えば、爆発する人口に対する食料確保のため、ジャングルを焼き払って耕地にして、結果的に砂漠化や温暖化を招く現実を、だれが責任持って批難することができるのでしょうか。 

しかしその一方で、そういう人類の営みとは別に、人間社会の維持存続を根底から脅かすのが、核=原発だと私は思っています。

人間社会とは、絶対に相容れない。
というか、人間社会から明らかに逸脱している。
だから多少の環境破壊というリスクを犯してでも、まず最優先すべきは原発を無くしていくこと、そう言ったら、やっぱり反発されるのかなぁ。

日帰りの慌ただしい日程でしたが、大混雑の偕楽園は無理でもせめて、ということで、旧水戸藩の藩校、弘道館に行きました。
こちらもおよそ800本の梅が、まもなく満開です。

尊皇攘夷の総本山ともいうべき水戸学ですが、そのバックボーンは当然儒教です。
庭園には、孔子も祀られています。
しかしそれは、明治以降の、創られた近代日本とは、明らかに一線を画すものではないかと私は思っています。

「我らが人の道分くる」と校歌に歌った母校の小学校は、この弘道館に隣接しています。 
「林の梅に鑑みて」、私は私の人生で、なにができたのだろう。
「かぐわしき名を世に立て」ることはかなわずとも、せめて、子供達のために、持続可能な人間社会を守って行きたいものだと思います。 

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