IMG_3032そもそもなぜ秋分の日と春分の日が国民の祝日なのか?ということですよね。

何を祝うのか?

太陽が真東から出て真西に沈むこの日。
仏教的には西方極楽浄土=彼岸に対する思いを込めて先祖を供養する日、という位置づけですが、そのいっぽうで太陽神=天照大神信仰とも繋がっています。

昨日は神道だからお彼岸は関係ないと言いました。
もちろんそういう行事もないし、彼岸とか極楽という概念も神道にはないわけです。
でも神仏混淆の日本の文化は、そういう多様性というか、柔軟性に富んでいます。

一つの価値観や一つの概念に縛られない、そういう曖昧さが、すべてを取り込む能力が、日本文化の底力でもあると思っています。

他の福音を語る者は呪われよ、などとは決して言わない。
正しいことは、一つじゃないんだよ。
とてもおかしな言い方ですが、神さまの数だけ、神さまがいます。

冒頭の話題に戻れば、そういう意味で、今日はやはり祭日であって、祝日ではないのです。

今日は初めてお彼岸の読経に参加しました。
浄土宗ですから、基本はただ一心不乱に念仏を唱えて西方極楽浄土への成仏を目指す、ということですが、参加者みんなが木魚を叩きながら念仏を唱えます。

宗教的行事というのは、傍から見ているのとその中に参加しているのとでは、とても大きな違いがあります。

そしてある種のトランス的な気分高揚には、音の果たす役割も非常に大きいものがあります。
打楽器のリズムや、歌、旋律、そのほかのいろんな要素に包み込まれて。
それが舞台と客席という位置関係ではなく、その真っ只中にいる当事者であるという感覚。
なにか超越した不思議な力を、その瞬間カラダ全体で感じとっているような気分です。

お祭なんかもやはり宗教的行事ですから、同じですね。
お神輿ひとつとっても、担ぎ手と観客では決して共有することのできないなにかがある、みたいな。

ところで木魚って、リズムが弱起なんですね。2拍目と4拍目に叩きます。
ン、チャ、ン、チャ、という刻み方は、敢えて一番分かりやすい例でいうと、レゲエのリズムと同じ、かな。

そんな宗教的エクスピアリアンスとは全く関係ありませんが、なぜか本日はオールブラックデニムでした。
ジャケットは、けっこう厚手。
パンツはストレッチ素材のスキニー。
中のシャツも、白い横糸と黒い縦糸のグレーのシャンブレーです。

データ
ブラックデニムのジャケット:ムッシュニコル
スキニーのブラックデニムパンツ:H&M
グレーのシャンブレーの半袖BDシャツ:無印良品
黒い革靴:Hawkins トラベラー